合理的に判断してきた、という自負
これまでの仕事を振り返ってみて、
• 感情に流されず判断してきた
• データや前提を重視してきた
• 個人の好みより、全体最適を選んできた
そうした積み重ねに、心当たりがある人は多いかもしれません。
実際、組織の中では
その姿勢が評価され、
信頼につながってきたはずです。
それでも、
ある時期から、
• どの選択が妥当なのか分からなくなる
• 合理的に考えているはずなのに迷う
• 判断の手応えが消えていく
そんな感覚が生まれることがあります。
合理性が機能する範囲
合理性は、
非常に強力な判断基準です。
特に、
• 目的が明確
• 評価軸が共有されている
• 成果が測定できる
こうした環境では、
合理的に振る舞うほど判断は安定します。
組織の中で求められる多くの判断は、
この枠組みの中で行われてきました。
合理性は、
組織に適応するための有効な道具でもあります。
合理性だけでは扱えない領域に差しかかる
しかし、ある段階から、
判断の対象が少しずつ変わっていきます。
• 正解が一つに定まらない
• 成果が数値で測れない
• 時間軸が長くなる
こうした判断が増えてくると、
合理性は、
以前ほど明確な答えを出してくれなくなります。
それでも、
これまで通り合理性を使おうとすると、
• 比較できないものを比べ続ける
• 優劣がつかないまま検討が終わらない
という状態に入りやすくなります。
迷いが生じる分岐点
この段階が、
一つの分岐点です。
• 合理的に考えてきた
• 間違えない判断を積み重ねてきた
その延長線上で、
合理性だけでは扱えない判断に直面する。
このとき起きるのは、
判断力の低下ではなく、判断の種類の変化
です。
しかしこの変化には、
はっきりした名前が与えられていないことが多い。
そのため人は、
迷っている自分そのものを問題にしやすくなります。
合理性が「足りない」のではない
この迷いは、
• 合理性が不足している
• 考えが甘くなった
といった状態ではありません。
むしろ、
• 合理性を十分に使い切った
• 組織の中で最適化してきた
その結果として、
合理性の適用範囲の外側に差しかかっている。
そう捉えた方が、
実感に近い場合があります。
組織の判断と、個人の判断のずれ
組織の中では、
• 妥当性
• 再現性
• 説明可能性
が重視されます。
一方で、
個人の立場が強く関わる判断では、
• 納得感
• 継続性
• 位置づけ
といった要素が前に出てきます。
この二つは、
完全には重なりません。
組織で合理的に振る舞ってきた人ほど、
このずれに直面したとき、
迷いが大きくなりやすい傾向があります。
迷いは、合理性の否定ではない
合理的に振る舞い続けた結果、
迷いが生じる。
それは、
合理性が間違っていたことを意味しません。
むしろ、
• 役割の中での判断をやり切った
• 組織の基準を十分に引き受けてきた
その先で、
判断の前提が変わり始めている。
迷いは、
その境目で生じる感覚とも言えます。
状態として見えてくるもの
組織の中で合理的に振る舞い続けた人ほど、
ある地点で迷いが生まれる。
この現象は、
• 個人の弱さ
• 判断力の衰え
として切り取るより、
「判断の土台が切り替わり始めている状態」として捉えた方が、
輪郭がはっきりします。
自分の中で起きている迷いを、
こうして言葉に置いてみると、
それまでとは違う位置から見えてくることがあります。

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