判断できない自分を、責めてしまう前に
判断できない状態が続くと、
多くの人は、まず自分を疑う。
• 意志が弱いのではないか
• 覚悟が足りないのではないか
• 本気になれていないのではないか
こうした言葉が、
頭の中を占めていく。
だが、
その自己評価は正確ではない。
意志が弱い人は、そもそも悩み続けない
ここで、
一つ事実を置いておく。
本当に意志が弱い人は、
ここまで悩み続けない。
• 深く考えない
• 責任を引き取らない
• 不安を精査しない
そのため、
判断不能の地点まで
思考が進まない。
判断できなくなっている人は、
むしろ逆だ。
判断不能は「考えすぎた結果」として現れる
この状態にいる人は、
• 情報を集め
• リスクを比較し
• 可能性を検討し
安易な決断を避けてきた。
結果として、
• どの選択にも妥当性があり
• どの選択にも危険がある
という地点に立っている。
ここでは、
意志の問題は関係ない。
「決められない」のではなく「決まらない」
言葉を正確にすると、
この状態は、
「決められない」ではなく
「決まらない」に近い。
• どれを選んでも決定打がない
• 捨てる理由が成立しない
判断を生成する条件が、
そろっていない。
意志は、判断の材料ではない
多くの人は、
意志が強ければ決断できる
と考えている。
だが、
意志は判断の材料ではない。
判断が成立するためには、
• 前提となる納得
• 捨てられる理由
• 選ぶ必然性
が必要だ。
それが成立していない状態で、
意志だけを強めても、
判断は生まれない。
真面目な人ほど、意志のせいにしやすい
真面目な人ほど、
• 状況のせいにしない
• 他人のせいにしない
そのため、
原因を自分に引き取る。
そして、
自分の意志が弱いからだ
という説明に
たどり着く。
だがそれは、
最も分かりやすい誤解だ。
判断不能は「構造」の問題として起きている
ここで、
視点を切り替える。
判断不能は、
• 性格
• 意志
• 覚悟
の問題ではない。
思考の前提と、
置かれている状況が噛み合わなくなった結果
として起きている。
つまり、
構造の問題だ。
なぜ、この構造は見えにくいのか
構造は、
• 目に見えない
• 説明しづらい
• 他人と共有しにくい
そのため、
• 性格
• 意志
• 根性
といった
分かりやすい言葉に
回収されやすい。
だが、
分かりやすさと正確さは、
別物だ。
自分を責めても、判断は進まない
意志の弱さを疑っても、
• 状況は変わらない
• 前提も変わらない
• 選択肢の重さも変わらない
ただ、
自己評価だけが下がる。
これは、
最も消耗するループだ。
このサイトが扱うのは「意志」ではない
このサイトでは、
• もっと頑張れ
• 覚悟を決めろ
• 決断しろ
とは言わない。
代わりに、
• なぜ判断が成立しなくなったのか
• どの前提が壊れたのか
• 何が構造として詰まっているのか
を、一つずつ言語化していく。
最後に
判断できないのは、
意志が弱いからではない。
正しく考え続けた結果、
これまでの判断の枠が使えなくなった
それだけのことだ。

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