「逃げている気がする」という違和感
実際には、
• 投げ出していない
• 放棄していない
• 責任から逃げていない
それなのに、
心のどこかで
こう感じることがある。
「自分は逃げているのではないか」
この感覚は、
はっきりした根拠を伴わないことが多い。
行動を放棄しているわけではない
冷静に見れば、
• 仕事は続けている
• 役割は果たしている
• 日常は維持されている
客観的には、
「逃げ」と呼べる要素は少ない。
それでも、
逃げているように感じる。
ここに、
重要なズレがある。
「逃げ」は行動ではなく、評価として現れる
この感覚は、
実際に逃げたかどうか
ではなく
自分が自分をどう評価しているか
から生まれている。
つまり、
逃げているのは行動ではなく、
自己評価だ。
なぜ自己評価が「逃げ」になるのか
判断不能の状態では、
• 決断できていない
• 進んでいないように感じる
• 変化が起きていない
この「動いていない感じ」が、
逃げている
という言葉に
変換されやすい。
社会には「止まる=逃げ」という文脈がある
多くの場面で、
• 前に進む
• 決断する
• 行動する
ことが、
善として扱われる。
その結果、
• 立ち止まる
• 保留する
• 維持する
という状態は、
説明されにくい。
説明できない状態は、
否定的に解釈されやすい。
真面目な人ほど、逃げという言葉を内面化する
真面目な人ほど、
• 言い訳をしない
• 自分に厳しい
• 原因を自分に求める
そのため、
逃げているのでは
という評価を
自分に向けやすい。
これは、
怠慢ではない。
逃げていないからこそ、苦しい
皮肉なことに、
本当に逃げている人
よりも
逃げていない人
のほうが、
この感覚に苦しむ。
なぜなら、
• 責任を感じている
• 状況を正確に見ている
からだ。
「逃げ」という言葉が、思考を単純化する
逃げという言葉は、
• 強く
• 分かりやすく
• 自分を裁きやすい
そのため、
• 状況の複雑さ
• 判断不能の構造
を、一気に省略してしまう。
だが、
省略されたものこそが、
本質だ。
逃げではなく「防衛」として見る
ここで、
視点を変えてみたい。
今起きているのは、
責任から逃げている
のではなく
これ以上壊さないための防衛
ではないか。
• 大きな失敗を避ける
• 人生を破綻させない
• 背負いすぎない
この姿勢は、
逃避とは違う。
判断不能は、逃げの代替ではない
判断不能の状態は、
逃げる代わりに止まるという選択ではない。
「逃げることも進むこともどちらも引き受けきれなくなった」
その結果として生まれた状態だ。
逃げだと感じるとき、何が抜け落ちているか
「逃げだ」という評価の中には、
• どこまで責任を取っているか
• 何を守ってきたか
が、ほとんど含まれていない。
評価が荒すぎる。
最後に
逃げているわけじゃないのに、
逃げだと感じる。
それは、
あなたが怠けているからでも、
卑怯だからでもない。
判断不能という複雑な状態を、
一言で説明しようとした結果
そう感じているだけだ。
逃げという言葉で
自分を裁く前に、
その状態が
何を守ってきたのかを
一度、見直してみていい。

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