仕事の判断はできている、という事実
日常の業務では、特に困っていない。
むしろ、
• 求められた正解を出せている
• 状況に応じて、合理的な判断ができている
• 周囲からも「判断力がある人」と見られている
そうした評価を受けている人も多いはずです。
それにもかかわらず、
• 自分の今後をどうするか
• このまま続けるか、変えるか
• 人生の次の段階をどう位置づけるか
といった判断になると、
思考が急に止まってしまう。
このギャップに、戸惑いを感じている人は少なくありません。
能力の問題では説明がつかない違和感
この状態を、
「判断力が落ちたから」
「年齢のせい」
「迷いが多い性格だから」
と説明しても、しっくりこない場合が多いはずです。
なぜなら、
• 仕事上の判断能力は維持されている
• 情報処理や分析力も落ちていない
• 他人の相談には的確な助言ができる
それでも、
自分自身の人生に関わる判断だけが生成されない。
ここには、
能力とは別の要因が関わっています。
仕事の判断には「正解」が用意されている
仕事の場面では、多くの場合、
• 評価基準が存在する
• 過去の前例がある
• 組織としての正解が想定されている
完全な正解でなくても、
「この範囲なら妥当」という着地点が見えています。
つまり、
仕事の判断は
正解に近づく作業として成立しやすい。
一方で、人生の判断には、
• 明確な評価軸がない
• 正解かどうかは後からしか分からない
• 他人の基準をそのまま使えない
という性質があります。
この違いが、
判断の難易度を大きく変えています。
正解思考が強いほど、人生判断は止まりやすい
これまで、
• 正しく判断する
• 間違えない選択をする
• 合理的である
ことを重視してきた人ほど、
人生の判断は難しくなります。
なぜなら、
人生の判断には、
• 正しさを測る物差しがない
• 合理性だけでは選べない部分がある
からです。
それでも、
仕事で培った思考様式を使おうとすると、
「正解が見えない=判断できない」
という状態に陥りやすくなります。
「決められない」のではなく、「置き場所がない」
この状態は、
• 選択肢がない
• 情報が足りない
というよりも、
判断を置く場所が見つからない感覚に近いものです。
仕事の判断は、
• 組織
• 役割
• 評価
といった枠組みの中に置けます。
しかし人生の判断は、
それらの枠組みから少し外れた位置にあります。
そのため、
• どこに置けばいいのか分からない
• どの基準で考えればいいのか定まらない
という感覚が生まれます。
この状態は、自然な分岐点でもある
ここで起きているのは、
• 判断能力の低下
• 意志の弱体化
ではありません。
むしろ、
• 正解を出す力が十分に育った
• 役割の中での判断をやり切ってきた
その先で、
次の種類の判断に直面している状態とも言えます。
今までのやり方が通用しないのではなく、
今までのやり方では扱えない領域に来ている。
そう捉えることもできます。
今、言葉にできること
この文章は、
何かを選ぶためのものではありません。
仕事では正解を出せるのに、
人生の判断だけが止まる。
その違和感が、
• 性格の問題でも
• 能力の欠如でもない
ということを、
言葉として外に出すためのものです。
自分の中で起きていることを
構造として捉えられるようになると、
判断の重さそのものが、少し違って見えてくることがあります。
その先をどうするかは、
ここでは扱いません。

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